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国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

1年以上
新年あけましておめでとうございます。

気付くと1月ももう半ば。
新年あけまして・・・ではないですよね(笑)。

シンガポールの新年の祝日は元旦のみですから、今年のように週末にかかってしまった場合は本当に「いつも通りの週末」でした。

それでも自宅の大掃除がしたくて大晦日はお休みし、元旦の土曜日は午後から出社しておりました。

年末年始はフライトが混むし、実家への帰省は出張時にしておりますので、この15年間この時期に帰国したことはまずありません。それはそれでまたリラックスした良いお正月でした。

さて、12月にシンガポール政府観光局より取材依頼がきて、メールマガジン「マイ・シンガポール~シンガポールの達人に聞く~」に掲載されました。

「マイ・シンガポール」シンガポール政府観光局メールマガジン



こうしてみると改めて私はシンガポールが好きなんだなぁ、と思います。

今年は年女!
文字通り「飛躍の年」にしたいと思っております。

本年もよろしくお願い申し上げます。


川村千秋
1年以上
転職に限らず、まずほぼ無条件に相手を信頼するところから始まる日本人の感覚では考えにくいことですが、私が知る限り基本的に海外では「信頼に足る理由」が得られない段階では相手を疑うところから人間関係が始まります。

疑うというのが少々行き過ぎた表現であれば、「注意する」「警戒する」という程度でしょうか。

最近は転職が一般的になってきた日本でもそうでしょうが、海外または日本でも昔から中途採用が一般的であった外資系企業においては、採用までの過程に必ずレファレンス(Reference)と呼ばれる身元照会を行います。

これは、履歴書に書かれていた過去の在籍記録や退職理由に偽りがないか、人物的にはどのように評価されていたのか等を確認する、採用側にとっては重要な手続きです。

と同時に、見も知らずの社外の人間がかつての社員についてあれこれと問い合わせてくるのですから、そうした問い合わせを受ける側も慎重な対応をする必要があります。

先日、あるクライアントのオフィスで「レファレンスと個人情報の保護を両立させる方法」についてアドバイスを求められました。外資系企業勤めが長かった私にとっては正直、日本の大企業でこのようなプロシージャーが確立していないことは驚きでしたが、その後、折にふれ訊ねてみると、シンガポールにおいてはどちらの企業でもさほどしっかりと確立していないことがわかりました。

よくわからないからとりあえず上司に電話を渡す、などであればまだ良いのですが、上司や人事部の知らないところで、問われるままにその電話を受けた社員が個人としての見解を述べていたとしたら大問題です。

日本ではこれまで中途採用という形態が比較的少なかったこと、学歴、職歴などに虚偽の情報を載せるなどあり得ないという、当初から相手を信頼する文化があること。これらも日本人の良い面である「相手を信頼する」文化の一端であり、そうした中に長くいるとあまり意識せずともいられるのですが、多様な価値観が混在する海外ではひとつしっかりしたプロシージャーを作っておく必要があると実感した次第です。

ちなみに我々エグゼクティブサーチコンサルタントは、大学以上の学歴の卒業証明書は必ず現物を確認します。「卒業」か「中退」か、はたまた単に「聴講生」レベルの在籍か(ちなみに「聴講生」は学歴としてのカウントには入りません)。

社会に出て何年もたったキャリアのある人を前に、今更、大学で「学位を取ったかどうか」など私個人は大した意味を持たないと思っています。しかし、クライアントに代わって人物選考をする立場であることを自覚すれば、おのずとこうした確認作業に手を抜くことはできないわけです。この段階で学歴詐欺が見つかれば、それだけでも人物的な信頼を欠くことになります。当然、クライアントへの報告書にもその点が記載されてしまいます。

レファレンスについて一例をあげれば、私が過去に在籍していたシンガポールの会社では、以下の社内規約がありました。

1.電話を受けた者は相手の社名、所属部署、役職、名前、連絡先電話番号、問い合わせ目的を控えた後、「人事部よりお返事いたします」とだけ伝えて、電話を受けた社員は一切何も情報を渡さないこと。

2.人事部がその連絡先電話番号あてに電話し、相手がこうした問い合わせをするのに正当な立場にいる人間かどうかを判断した上で(虚偽の電話番号や不当な立場での問い合わせなどであれば、この段階でオミットされる)問い合わせ内容に対して答える。人事部としては、在籍期間、昇進の経緯、退職理由、退職日、自己都合退職か会社都合または懲戒免職であったのか、という点に対してのみ答える。

3.人物評価については、直属の上司から答える。

これ以外の対応をしてはならないという厳密な規定が設けられていました。
つまり、突然にかかってきた電話を受けた社員が具体的なコメントをすることは一切ありません。
また、これはシンガポール本社だけではなくグローバルな社内規定でした。

問い合わせ理由を具体的に聞き出し、基本的に転職の際のレファレンス以外の問い合わせは不当な問い合わせである可能性もあるとみなされ、通常以上に厳密な対応をしていました。勿論、警察や裁判所のような国家権力的立場からの問い合わせであれば別ですが、それであっても人事部→マネジメントという流れは変わらないものでした。

会社では様々な人間関係が発生します。優秀な社員ゆえに引き抜かれて転職した人物に妬みを持ったもと同僚がこのような電話に応対したらどういう結果になるでしょうか。最悪の場合、客観性に欠けた恣意的なコメントを発し、新たなキャリアに進もうとする元社員の行く手を不当に阻むことにもなりかねません。このようなことが後日発覚すれば、場合によっては辞めた社員から訴えられることもあり得るわけです。個人情報の不当な流出にもつながるのは言うまでもありません。

会社側のリスクマネジメントの見地からも、レファレンスに対してはしっかりと規定を設けておく必要があると思います。

と同時に、在籍しいつかは退職日を迎える社員各人も、後日こうしたレファレンスをされても困ることのないように在職中からプロフェッショナルな態度で日々を送ることが大切だと思います。

それさえ守れば、退職後も以前の会社の上司や同僚とも関係維持ができますし、様々なビジネスシーンでお互いに重要な人脈として存在し続けることができます。

コンプライアンスという概念は、こんなところにも見出すことができるのです。
1年以上
10月は7日から12日まで4年ぶりにドバイに行ってまいりました。
中東では金曜土曜が週末ですので日曜からは仕事でしたが、到着日と翌日は久々に仕事を忘れて休暇を楽しみました。

地上124階の世界最高のビル、バージュハリファに登ったり、1200店舗が入るThe Dubai Mallでショッピングを楽しんだり、夜はクルーズ船でディナーを楽しんだり・・・写真も沢山撮りました。が、ドバイのお話は次回のブログでご紹介するとして、今日は暗中模索の日本経済を尻目に快進撃を続ける日本のベンチャー企業のお話をしたいと思います。

シンガポール進出を足場にして世界へ羽ばたこうとするベンチャー企業は数あれど、掛け声だけが先行している雰囲気も感じられます。そんな中、着実にシンガポール進出を事業化し、周辺国も含めた次の一手を打ち始めた日本企業をご紹介しましょう。

当社のクライアントでもあるトレードショーオーガナイザーズ株式会社。30代の社長が率いる若い会社ですが、産業展示会の開催件数ではすでに日本のトップクラス。このご時世の日本経済の中、飛躍的に継続成長を実現している企業です。

前回のブログでもご紹介しましたが、このたびシンガポールの大手イベントプロデュース企業グループであるPICO Group傘下にあるMP International Pte Ltdと合弁会社を設立されました。来年からはシンガポールをはじめとする周辺国で来年からOishii JAPANというブランド名で日本食の総合展示会の開催を予定しています。

当社はこのJV設立に際して包括的なビジネスコンサルを提供させていただき、まさに、クライアントと共に成長させていただくコンサルタントとしての醍醐味を味わわせていただきました。契約締結までのプロセスに細かくコンサルタントとして関与し、JV設立決定後はマーケティング展開、基幹職人材の紹介・・・この数か月はこれらの仕事で本当に忙しかったのですが、多くのことを勉強させていただきました。

日本の会社でありながら日本に居続けることに拘らず、文字通りベストプラクティスをグローバルベースで実践する。夢を語ることは誰にもできますが、それを着々と形に、それもマーケット動向を見ながら極めて短期間で成し遂げる企業はそう多くはありません。

真のベンチャー企業の強さを体感する毎日でした。

2月にシンガポールで社長、経営陣にお会いし、4月下旬には既にJV設立を決定。そこからは契約内容の詰めや事業計画の協議など、私自身まさしく当事者になったつもりで共に走り続けた思いでした。だからこそ、8月に東京ビッグサイトで行われたJVの調印式では、その瞬間ちょっと涙腺が緩くなったりもして・・・。

社長以下、社員の方々が本当に真面目で良く働く。経営トップはトップとしてのビジョンをしっかり持っている方ですし、ご自身がよく勉強されていますので、問い合わせてくる内容も実に具体的。生半可な対応では太刀打ちできませんから、そのたびに私も緊張感を持ってお答えしました。

今週はシンガポール側パートナーであるMP Internationalが毎年主催しているWine For Asia 2010 がマリーナベイサンズで開催されていますが、その中に特設会場として「酒・焼酎パビリオン」を設営し、海外進出を願う酒造メーカーを率いて早くも来年の足場固めをされています。

来年は10月にサンテックシティにてOishiiJAPANを開催。
既にJETRO、日本大使館をはじめシンガポール政府側からも応援の声があがっており、閉塞感ただよう日本市場からの脱出を願う食品・飲料・調理機材・飲食・FC業界各社にとって、大きなスプリングボードになると期待しています。

WineForAsia2010開催前夜であった昨晩は、Conrad Centennial のボールルームにてGala Dinnerが開かれました。MP International のCEOシルビア・プアさんから直々にお電話でご招待をいただき、ワインどころかアルコールはほとんど飲めないワタクシですが、大変光栄なことですので恐縮しつつも出席させていただきました。私自身のクライアントも数名ご招待させていただき、美味しいワインとコース料理を楽しみながらネットワーキングの機会もご提供させていただきました。開会のご挨拶


アジアで唯一の総合ワイン展示会であり、毎年、Wine Style Asia Awardという名で受賞ワインが選定されるとのこと。まさに世界中のワイナリーから出展者が集まっており、ハープの生演奏の中、フランスのワインコンサルタントによるレクチャーや醸造過程の紹介ビデオなど、私もほんの少しワインの奥深さを垣間見た思いでした。


開場前のカクテルでは、出展ワインが何十本(100本超えていたかも)が並べられ、「ご自由にご試飲ください」とのこと。ワインを水のごとく嗜めるワイン・ラバーの友人数名の顔が脳裏に・・・ウラヤマシイ。そもそも私は飲めない体質なのです(涙)。CEOのシルビアさん(中央)と受賞者の方々

それにしても、私が来星した14年前はワインなんてホテルのレストランにでもいかなければまともに飲めなかったのに、ホント、シンガポールのライフスタイルの進化のスピードはすごいですね。

ひとつの仕事を通じてまた新たな人やビジネスとの出会いをいただく。

社長からシンガポール側関係者に「当社のコンサルタント」ではなく「ビジネスパートナー」とご紹介をいただいたその言葉の重みをしっかり受け止めて、これからも日本からの進出企業を精一杯応援させていたただきたいと思いました。トレードショーオーガナイザーズの佐々木社長、西田常務と共に


WineForAsia2010は本来バイヤーを対象としたBtoBの展示会ですが、最終日の夕方からは一般公開されます。ご興味のある方は是非ご来場ください(入場無料)。

日時: 10月29日(金)午後6時半~9時半
会場: Sands Expo & Convention Centre, Hall E, Basement 2
1年以上
大変ご無沙汰しておりました。

気付いてみたら、3か月近くもブログ更新をしていなかったのですね・・・

この2ヶ月間は当社にとりまして2つの大きなプロジェクトが進行し、大忙しの2か月でした。

まず、7月にオフィスを移転しました。
サービスオフィスも便利で良いのですが、部屋は狭いですし、週末や時間外の会議室利用に制限があることなどを考え、思い切って外で独立したユニットを借りることにしました。

5月末から物件を探して丸1か月。合計21件を下見し、家主と交渉に次ぐ交渉のバトルをくぐり抜け(笑)、ようやく決まったのが今のNeil Roadにあるショップハウススタイルのオフィスです。正確にはNeil Roadから少し私道を入った場所にありますので静かで、ショップハウスと言っても既に建物全てがオフィスに仕様変更されておりますので快適です。

ショップハウスという建物は、ペラナカン文化でよく見られる建築スタイルで、かつては1階が店舗、2階以上が住居として使われていました。今でもその通りに使っている場合もありますが、ここチャイナタウンとタンジョンパガーに挟まれたエリアでは、既に多くがオフィスに改装されています。

かつてはNeil RoadやDuxton Roadには飲食店が入ったショップハウスが多かったのですが、この地区の再開発計画が進むにつれて飲食店が退出し、オフィスになるというケースが増えています。後、1年ほどしたら大半がオフィスに変わってしまうのではないかと思いますね。

当社がこのたび借りた物件も、他のテナントは建築事務所、メディアデザイン、投資顧問、写真スタジオなどで占められています。

歴史的建造物として保護指定されていますので、外側を改装することは許されませんが、中は自由に改装できます。当社の物件も借りた時は天井、壁、床、全てコンクリートむき出しでしたので、デザイナーさんに頼んで一から設計していただきました。

Keppel Bay画像 354


大きな天窓がありますので昼間でも明るく、エアコンもユニットごとにありますので調整可能(オフィスビル勤務時はエアコンの効きすぎで苦労しました)。

私の個室はガラスで区切り、家具は圧迫感の内容に白で統一。
照明にもちょっとこだわりました。

画像 443

設計は1週間で終わり、そこから工事。これが実際には3週間以上かかりましたね。話では1週間半などと言われていたのですが(ありがちな話です・・・笑)。

その後、電話、FAX、インターネット、セキュリティロック・・・
そして家具を選んで、コーヒーメーカーや冷蔵庫も選んで・・・全て予算とにらめっこですので大変でした。

会社員の頃にもオフィスの改装は二度ほど経験しましたが、あの時は自分のチームの座る位置のレイアウトを話し合うぐらいで、後は総務担当者任せ。予算も「勝手にどこかから出てくる」ぐらいの感覚でいられたものでしたが、今回は全て自分からです。総工費は想像以上でしたので、途中何度か交渉して(というより拝み倒して)単純にまけてもらったり、材料をダウングレードしたりして調整しました。それでも当初の想定より1万ドルは余分にかかってしまいました・・・(冷汗)。
本当に大丈夫なんだろうか・・・と不安にかられた時もありましたが、とにかく入ってきた仕事をどんどんこなすことで何とかなりました。

7月末にようやく完成。
今度は月極め駐車場探しで苦労・・・オフィスビルと違って周辺のビルの駐車場に入れるしかないので、これも11件回って1か月ウェイティングリストに載って粘ってようやく見つけました。

8月は、シンガポール企業とこのたび合弁会社を設立された当社のクライアント様の大規模な展示会が東京で行われ、同時に会社設立のお披露目と記者会見も開かれましたので、それに合わせて出張。合弁事業の分厚い契約書を真夜中までレビューし、趣旨をまとめ、クライアントや弁護士さんと協議を重ねた結果の会社設立でした。

東京ビッグサイトの展示会期中に、在日シンガポール大使代理、シンガポール政府観光局の北アジア局長後見のもと、無事に合弁の調印式が行われたのを見届けた時は、目がしらがちょっと熱くなりましたね。

調印式

会期中には二つの大きなプレゼンテーションと記者会見があり、その準備も当日の通訳も務めさせていただきました。

シンガポール進出に賭ける思いを経営陣と共有しながら、まさにチーム一体となって頑張った実感がありましたね。

本当にありがたいことでした。

その間にエグゼクティブサーチ案件が2つほどまとまり、こちらでも忙しかったですね。人材の仕事は人と人との間に立っての交渉、調整が多いので神経を使います。オファーが出て入社するまで、いや、完全に戦力化するまで綿密なフォローが必要とされ、気が抜けません。それでも、その過程で毎回勉強の材料に出会うのもこの仕事です。

そんなこんなでもう9月。

これで少しはブログ更新をさぼっていた口実になったかな、と(笑)。

気がついてみたら今年は休暇を取っていませんでした。
そう、元旦もチャイニーズニューイヤーも。その頃は、日本からの出張者が中心のクライアントのプロジェクトに従事しており、出張者の方々って単身赴任だから週末も祝日も休まないんですよ~!
で、こちらもそのスケジュールに合わせた結果です。
プロジェクト納期が厳しい仕事でしたので、これまた必死に進めましたね。

12月はお休み取りたいな・・・
そのためにもあと2か月、目の前にある仕事に全力投球します。

新しいオフィスの近くにあるDuxton Hillはとても素敵な場所です。
ヨーロッパの街の一角のような素敵な建物が並んでいます。
Duxton Hill

ここもすっかりオフィスだけになりましたが、お気に入りのレストランBROTHもまだ健在。
日本人パティシエ経営のおいしいケーキ屋さんもあります。

独立して3年。
まだまだ先は長いけれど、一歩づつ一歩づつ歩みを進めていきたいと思います。
そして、支えて下さる多くの方々に改めて感謝したいと思います。

New Address:
PRIME BUSINESS CONSULTANCY PTE LTD
No.68 Neil Road, Singapore 088836
Tel 6222 3040 / Fax 6222 4930
1年以上

前回のブログでご紹介したピアニスト舘野泉さんのピアノリサイタルが、6月1日夜、シンガポールのヴィクトリアコンサートホールで行われました。

それに先立ち、前日にはシンガポールの最大手新聞であるStraitsTimesの取材が行われ、通訳として同席する機会をいただきました。

舘野氏は現在73歳。芸大を首席で卒業し、「北海道生まれの母の影響か、寒い土地に憧れがあった」との一念で卒業直後にフィンランドのヘルシンキへ渡りました。当時、芸大を首席卒業すればリサイタルやオーケストラとの共演のオファーが舞い込むにもかかわらず、それらを振り切ってふらりとヘルシンキへ降り立った日本の若者は、まずは自分のピアノを聴いてもらおうと費用を自己負担して初リサイタルを行ったそうです。

結果は大成功でヨーロッパの7つの新聞で高い評価を受けたものの、アジアから何の後ろ盾もなくやってきた若手ピアニストがそのまま仕事にありつけるほど現実は甘くはなかったそうです(その準備過程で必要に迫られフィンランド語を2ヶ月ぐらいで覚えてしまったのは音楽家ゆえの耳の良さ?)。

4ヶ月して手元の資金が底をついた頃、ヘルシンキ市の音楽大学の教授が心臓発作で他界され、リサイタルの評判を記憶していた関係者から学校で教えてみないかとのオファーが来ました。それまでは教会でオルガン奏者をする代わりに宿舎と食事を提供され何とか生活していた舘野氏は、その頃にはすっかり気に入ってしまったフィンランドで暮し続ける手段としてそのオファーを受け取ります。数年で国立音楽大学であるシベリウスアカデミーの教授職に就き、その後はヨーロッパ各地での演奏会、メシアンコンクール第2位と演奏家として輝かしいキャリアを積み、1981年には外国人としては唯一のフィンランド政府による終身芸術家年金を受けるに至ったとのこと。これまでに世界各国で3000回を超す演奏会を開き、CDのリリースは100枚近く。

実は私の家庭も音楽一家。母親はピアノ教師、両親共にクラシック音楽の大ファン、叔父は高校の音楽教師をしながらかつて静岡県交響楽団というアマチュアオーケストラで指揮者を務め、従姉妹は芸大卒業後ウィーン国立音楽院でチェンバロを学んだという経歴。でも、私自身は演奏の才能はゼロだったようで、母親に叱られながらなんとかソナチネアルバムを終了したあたりであっさりドロップアウト。聴く専門となったもののやはりクラシック音楽への関心は尽きることなく、その中でもピアノは一番親しみを覚える楽器でした。

今回、当社プライムビジネスコンサルタンシーは日本航空さんやシャングリラホテルさんに並んで僭越ながら協賛企業として名前を連ねさせていただきましたが、こうしたご縁が生じる前からピアニスト舘野泉のCDは私のコレクションの中に入っていたのです。

その舘野氏、2001年にリサイタルでの演奏中に脳溢血で倒れ右半身不随になりながらもリハビリを続け、見事に第一線に復帰されました。未だに右手は演奏には使えずという状態。絶望の中で過ごしていた時期、左手のために作られた楽曲を試しに弾いてみた瞬間、「右手だろうが左手だろうが、手が1本だろうが2本だろうが音楽をするということには変わりはない」との思いが瞬間に浮かび、一切の迷いが吹っ切れたとのこと。それからは左手だけでリサイタルを開き、日本ではチケットが取れないほどの人気ぶり(今回、日本ではなかなか聴けないから、とシンガポールまでファンクラブの会員が聴きに来ていました)。

実際、聴いてみればピアノの88鍵の上すべてに彼の左手が舞うように動き、ペダリングの巧みさから音が途切れることもなく(あれだけペダルを使っても音が一切濁らないのはさすが!)、実に澄み切ったそして流麗な音色を奏でていました。ピアノはバイオリンと違ってキーを叩けばとりあえず音は出る。それだけに音色の深みを出すことの難しさは多少でもピアノをかじった人であればわかること。

そして、たしかにピアノの楽譜はト音記号とヘ音記号に分かれて書かれていますが、別に上を右手で下を左手で演奏せよとはどこにも書いていない。両手だろうと片手だろうと、そこに描かれている音楽を奏でることができれば良いわけです。

ま、これは言うのはカンタンですが、実際は舘野氏のレベルの技巧を持ち合わせている人間でなければ不可能なことなのですが。


リサイタルにはお世話になっているクライアントに加え、親しい友人も招待させていただきました。

一応、スポンサー企業ですから開演まではご挨拶まわりに忙しく、しかし、ひとたび客席に着いてからは日常のすべてを忘れてその音色に酔いしれました。20年前に初の海外出張先となったヘルシンキ、週末に訪れた森と湖に囲まれた北欧の自然が脳裏に浮かんだ2時間でした。

お招きした方々からも、ピアノという楽器があれほどまでに深く情感を表せる楽器だったとは知らなかった、聴いている途中で思わず涙が出てきたという感想をいただきました。それはもはや弾き手の腕が1本か2本かという次元ではなく、終始目を閉じていても同じような感動を得られたであろうという芸術の域なのでしょうね。

終演後は日本大使館主催のレセプションに出席。

いつもお世話になっているシンガポールビジネスフェデレーションCEOのテン・テンダー氏は奥様とお嬢様を同伴されてお越しになりました。奥様も不動産業界でバリバリ仕事をこなしているキャリアウーマン、お嬢様は慈善事業に従事していらっしゃる素敵なご一家です。山中シンガポール大使ご夫妻、Keppel GroupのCEOなど政財界の方々とも親しくお話しさせていただく機会を頂戴しました。

その後は大使館、主催者LaMuseの代表の方々と共に、舘野氏と共演の平原あゆみさんを沖縄料理にお連れして深夜までくつろいだ時間をご一緒させていただきました。沖縄料理と泡盛、先生は大変楽しまれたようです。舞台を降りると舘野先生は気さくで楽しい73歳のおじいちゃまになって、これまでに演奏旅行で訪れた国々のお話しを楽しそうにされていました。

5月28日の到着から約1週間、到着翌日のランチ、日曜日の植物園での無料コンサート、ストレーツタイムスの取材、リサイタル当日、そしてリサイタル翌日はインフルエンザにかかってしまった先生と平原さんを日本人クリニックにお送りしたり、と多くの時間を共有させていただきました(そしてその間に多くのビジネスネットワークも築きました!)。

音楽を語られる時には、いつもの穏やかな眼差しから一瞬意志の強い芸術家の眼差しになるのですが、一貫して感じたのは「音楽をする」ということにかけての信念と情熱。「音楽が僕を生かし、僕が音楽を生かしている」という言葉通りに、その人生においてぶれることのない信念と情熱を持ち続けている素晴らしい芸術家でした。と、同時にオフステージでは飾らないお人柄で、つくづく「この方にとって音楽をする、ということ以外は何であっても実にどうでも良いことなのだ、と実感しました。その「抜け感」もまた素敵でしたね。一芸に秀でた天才はそれ以外の分野にはこだわらないのでしょうが、まさにその通りでした。

何かを成し遂げようとする時に必要なものは、どこまでいっても「信念」と「情熱」なのだと、改めて学ばされた1週間でした。




国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

作者:Chiaki Kawamura

国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

アジアの玄関シンガポールに暮らして早10年。海外就職、リストラ、海外転職、日本(逆)駐在の波乱万丈を乗り越えて、シンガポールに人材サーチ会社を設立。夢は大きくワールドワイド。世界に羽ばたくチャレンジャーのために。そんな日本人女性経営者の異文化日記。

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